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原沢久喜(柔道)結婚してるの?彼女現在いるか調査

原沢久喜 結婚

国際大会7連勝、公式戦連勝記録は37と圧倒的な強さを持つ原沢久喜選手は、リオデジャネイロ五輪柔道男子100kg超級で銀メダルを獲得し、現在IJF世界ランキング3位の選手です。

2020年東京五輪でもメダルが期待されている原沢久喜選手のプライベートにも注目が集り、結婚してるの?彼女はいるの?と話題になっています。今回は原沢久喜選手は現在結婚しているのか、彼女はいるのかについて紹介していきたいと思います。

原沢久喜が彼女と結婚?噂の彼女って?

輝かしい経歴を持つ原沢久喜選手ですが、2018年にテレビで特集が放送された時、部屋のタオルがピンク率が高かった為、彼女がいるのでは?と言う噂が出ました。現在、原沢久喜選手の彼女や結婚についての情報はありません。

原沢久喜選手も「この2年は柔道に人生を捧げていきたい」と東京五輪に目標を掲げ、柔道一本で進んでいるようですので、既に彼女がいて結婚するとしても、2020年の東京オリンピック後になるのではないでしょうか?

また、原沢久喜選手と同じ階級100キロ超級で、五輪2連覇のテディ・リネール選手を破った影浦心選手とは、年齢も近く、日本代表を争った仲です。今年1月に影浦心選手は結婚を発表されていますので、情報が交錯してしまっている可能性もあるのかもしれません。

原沢久喜の家族構成は?母親はシングルマザー?

原沢久喜選手の家族構成は、母・弟・妹の4人家族です。両親は、原沢久喜選手が小学4年生の頃に離婚されていますので、シングルマザーです。原沢久喜選手の母・原沢敏江さんは、2019年時点で57歳、介護資格を所持していて高齢者のグループホームなどで介護の仕事をしています。

原沢久喜選手は「暮らしは厳しかったと思うけど、大変なそぶりは一切見せなかった」と母に大変感謝しているそうです。幼少時代の原沢久喜選手について「性格がやんちゃだったので兄弟や友人とトランプしていても、自分が一番になれないとがーっとめちゃくちゃにしてしまう。これは何か武道をやったほうがいいと思ったんです。

負けん気も強かった」と母・原沢敏江さんは話しています。明朗快活で逞しい性格の母・原沢敏江さんは、常に息子を信じ、細かい事を気にしないタイプで「上がれば落ちる事もある。おごらず、いつも足元を見るように」と冷静に息子を応援していました。

リオデジャネイロ五輪で原沢久喜選手の銀メダル獲得を観戦していた母・原沢敏江さんは「相手が強くて、もっと早く負けると思っていたから。金メダルに値する闘いをしたのでは。でも、まだまだ未熟。常に努力しなければならない。日本の柔道を支えるぐらいの気持ちでやって欲しい」と話しています。

一緒に応援していた原沢久喜選手の妹・結衣さんも「五輪まで来るのに色んな努力をしてきて、最後は惜しかった。ブーイングにちょっと嬉しくて共感した」と話しています。

母・原沢敏江さんは「私が育てたよりも周りの人が育ててくれた」と言い、五輪が始まる前に「メダルの重圧に負けないように。油断大敵」とメールを送ると、原沢久喜選手からは「了解」と返事が返ってきたそうです。

また、原沢久喜選手がリオデジャネイロ五輪に出場する時に、下関の原沢久喜選手の後援会会長から「リオに応援に行くように」と募金の援助があったようです。

原沢久喜の弟はイケメン俳優?妹は?

原沢久喜選手は3人兄弟の長男で、2歳年下の妹・原沢結衣(はらさわゆい)さんと4歳年下の弟・原沢侑高(はらさわゆたか)さんがいます。妹・原沢結衣さんは一般人の様で職業などの情報はありませんが、弟・原沢侑高さんは俳優です。

原沢久喜選手と弟・原沢侑高さんは、幼少時代は一緒に柔道をしていたそうですが、原沢侑高さんは中学の時から俳優になりたいと思っていたそうです。

母・原沢敏江さんは原沢侑高さんが俳優になる事に反対していたそうですが、原沢久喜選手は「やりたいなら何でもやればいい。やらないで諦めるよりやって諦めろ。とにかく東京へ行け!」とアドバイスをくれたり、家の保証人にもなってくれたそうです。

原沢侑高さんがミスタージャパンのファイナリストになった時、原沢久喜選手も所属先の日本中央競馬会を辞めてプロになった時で、兄弟で銭湯に行って話をしたそうです。

兄・原沢久喜選手の「自分をもっと追い込んで持っている物を引き出す為に俺は辞める事にしたんだ」と語る姿を見て原沢侑高さんも負けられないと思ったそうです。兄は柔道五輪メダリストで、弟はイケメン俳優とは凄い家族です。

原沢侑高のプロフィール

名前 原沢侑高(はらさわゆたか)
生年月日 1996年12月17日
出身地 山口県下関市
学歴 下関市立日新中学校 山口県立下関中央工業高等学校卒業
身長 188cm
体重 75kg
得意技 柔道、野球、詩吟
所属 浅井企画

原沢侑高さんは、2016年より劇団俳優座研究所にて芝居の基礎を学び、2017年浅井企画に所属しています。2018年ミスター・ジャパンのファイナリストになりました。

  • 映像初作品 松室政哉さんの「衝動のファンファーレ」のMV
  • 2019年映画「タロウのバカ」、2020年「コンフィデンスマンJP プリンセス編」出演
  • ドラマ「絶対零度~未然犯罪潜入捜査~」第9話 の 柔道指導役、「メゾン・ド・ポリス」第4話出演
  • 舞台 劇団俳優座研究生公演「時の物置」主演、劇団男魂「バカデカ 勿忘草」前田泰生役、「フラガール」三四郎役

原沢久喜の幼少時代は?出身中学校・高校はどこ

原沢久喜選手が柔道を始めたのは6歳の頃で「しっかり組んで、しっかり技をかけて投げるといった柔道の基本を教わったのですが、その頃は体が小さかった為、体の大きな選手によく投げられており、中々勝つことが出来ずにいましたね」と山口県下関市の大西道場について語っています。

その後、下関市立日新中学校に進学しますが、柔道部がなかった為、早鞆高校の柔道部に参加し、そのまま早鞆高校に進学しました。

原沢久喜選手は、小さい頃から才能があった訳ではなく、少しずつ強くなってきた選手です。山口県早鞆高校に入学した時の原沢久喜選手は、173cmで66kg級という平凡な体格でしたが、2年生の後半には90kg級に、3年生になると100kg級にまで上げ、身長も190cmまで伸びました。

「重量級になってからも軽量級の頃の感覚が残っていたので、他の重量級の選手よりも素早い動きが出来た事は良かったと思います。しかし、体重を増やす為に食事の量や回数を増やす必要があったので、沢山食べなければならず、苦しかったですね」と語っているように、原沢久喜選手は1日5食と食事の量を増やしたり、プロテインの大量摂取をして体を大きくしてきたそうです。

当時の早鞆高校の柔道部員はわずか7名で、柔道の名門校という訳ではなかったようですが、顧問の中村充也先生のもとで柔道の基礎をしっかりと身に付けていきます。中村充也先生は「強くなって成績が出ると更に強くなる。高みを目指した時の集中力が凄かった。真面目にこつこつ手を抜かない部員でした」と原沢久喜選手の事を話しています。

高校3年生の時にインターハイ3位、全日本ジュニア柔道体重別選手権2位という成績を収めます。

「高校時代で印象に残っている大会は、2010年の全日本ジュニア柔道体重別選手権大会でしょうか。この大会で2位に入り、全日本柔道連盟の強化指定選手に選ばれるきっかけになったので、この大会はとても良い思い出として記憶に残っています」と話していましたが、原沢久喜選手は高校を卒業したら、柔道を辞めて就職しようと考えていたそうです。ですが、日本大学から声がかかり大学へ進学する事になりました。

原沢久喜の大学時代の成績が凄すぎる!

原沢久喜選手は高校時代までは特に目立った成績を残した選手ではありませんでしたが、2011年に日本大学に進学してから柔道に真剣に取り組むようになり才能を開花させ、社会人になってから素晴らしい成績を収める様になっていきます。この項目では、原沢久喜選手の大学時代の成績を紹介します。

  • 2012年 学生優勝大会2位、学生体重別優勝、講道館杯優勝(全国大会初優勝)
  • 2013年 ベルギー国際優勝、全日本選手権東京予選優勝、全日本柔道選手権2位、学生優勝大会2位、講道館杯3位(今まで一度も勝てなかった同期のライバルである王子谷選手を破っての3位)、グランドスラム・東京3位
  • 2014年 体重別3位、学生優勝大会2位、グランドスラム・チュメニ3位、体重別団体2位、グランプリ・青島優勝(オール一本勝ち・IJFワールド柔道ツアー初優勝)
  • 2015年 ヨーロッパオープン・ローマ優勝、体重別3位

原沢久喜選手は「大学生の頃は、ただがむしゃらに何も考えず試合をしていた部分があったと思います。今は、試合の流れを読むことや、組み手の際に相手の嫌がるポイントを突くことなどを考えながら試合をするようになりました。これが、大学時代から現在にかけて変化した点ですね」と大学時代から社会人になった時の変化も語っています。

原沢久喜が燃え尽き症候群に!東京五輪にかける想い

東京五輪の代表内定を決めた原沢久喜選手ですが、リオ五輪後に燃え尽き症候群で人生のどん底を味わった事があったそうです。2017年4月全日本選手権、日本武道館で原沢久喜選手は絞め落とされ、試合中に失神してしまい、更に9月の世界選手権でも初戦で敗退し、スランプに陥りました。

試合後に「情けない。本当に何をやっているんだという感じ」と話した原沢久喜選手はオーバートレーニング症候群と診断されました。リオ五輪の後に銀メダルだった自分を責めたストレスや、練習量を増やした過剰なトレーニングなどが原因で、疲労が慢性的に続く病気に罹ってしまったのです。

原沢久喜選手は「オリンピックを目指してずっと気を張っていたので、一回緩めてしまったら中々気持ちが戻らなくて。このままじゃいけないと学生時代の感覚でとにかく量をこなす練習をしていたら、今度はオーバートレーニング症候群になってしまった。2ヶ月間、柔道から離れて休養をとり、自分は柔道とどう向き合いたいのか、自分は本当に柔道が好きかと自問自答しました」と当時の事を語っています。

そして「退路を断って覚悟を決め、東京五輪までは柔道だけに集中したい」と2018年4月にJRAを退社して東京五輪に懸ける覚悟を決めました。

「柔道でトップになりたい。それが僕が出した答えですが、そうなると働きながら柔道をやっているのが中途半端な気がしてきて。いつ引退しても安定した生活が約束されている環境では、自分は100%柔道に打ち込めない。自分を追い込む為に会社を辞め、一人暮らしを始めました。競技の結果だけでなく自己管理にも全て自分が責任を負うと決めて、食事も栄養士に相談しながら自分で作っています。全てが柔道に繋がっていると思うと、自炊も楽しいです」とフリーになり、貯蓄で生活をしていたそうです。

天理大に長期間、出稽古(でげいこ)に行き、柔道の原点を思い出した原沢久喜選手は、2019年2月に国際大会で3年ぶりの優勝を果たし、3月には百五銀行が全面的なサポートに名乗りを上げ、嘱託社員契約が結ばれる事になりました。

2017年の敗戦、病気を乗り越えた原沢久喜選手は、2020年夏に再び日本武道館の畳に立ちます。

原沢久喜選手は「一番重い階級が、一番難しい。他の競技でも重い階級で活躍している日本人はほとんどいないですよね」と話していますが、それでも「目標は世界の頂点に立つこと。せっかくの自国開催ですし、自分が金メダルをとって日本柔道ここにあり!という事を示したいです」と力強く宣言しました。

原沢久喜のプロフィール

名前 原沢久喜(はらさわひさよし)
生年月日 1992年7月3日
出身地 山口県下関市
学歴 下関市立日新中学校 早鞆高等学校 日本大学卒業
身長 191cm
体重 122kg
得意技 内股 大外狩り
段位 5段
所属 百五銀行

原沢久喜選手は、2015年4月からJRA(日本中央競馬会)の労務厚生課所属になりました。

社会人時代の主な成績は

  • 2015年 全日本柔道選手権優勝、ユニバーシアード優勝、グランドスラム・チュメニ優勝、グランドスラム・パリ優勝、グランドスラム・東京優勝

2015年は3度のグランドスラム大会優勝を成し遂げ、国際大会6連勝となりました。

  • 2016年 グランドスラム・パリ優勝で2連覇、国際大会7連勝達成、体重別優勝、全日本柔道選手権3位(公式戦での連勝記録も37でストップ)、ワールドマスターズ 3位、実業団体優勝(団体で日本一になるのは初)、リオデジャネイロオリンピック 2位
  • 2017年 グランプリ・デュッセルドルフ2位、体重別3位

全日本選手権大会後に「試合で落とされた(意識を失った)のは初めて。落ちるところまで落ちたので、来年必ず強くなって帰ってきたい」とコメントしました。
実業団体優勝、世界団体優勝

  • 2018年 グランドスラム・デュッセルドルフ2位、全日本選手権東京予選優勝(3年ぶり3度目)、体重別2位、全日本柔道選手権優勝(3年ぶり2度目。今大会を5試合オール一本勝ちしたのは、1979年に優勝した山下泰裕さん以来39年ぶり)

4月末JRAを退社して、5月からはフリーになりました。世界選手権3位「優勝を狙っていたので悔しいが、切り替えてメダルを獲れたのは次に繋がる」とコメントしました。

  • 世界団体 優勝

2019年 グランドスラム・パリ2位 「決勝は自分の形になり切れていないところで、技をかけ急いでしまった。過去に2回優勝している大会でいい結果を望んでいたが、そううまくはいかない」とコメントしました。

グランドスラム・デュッセルドルフ優勝(3年ぶりとなる国際大会の優勝)「何としてもこの大会は優勝したかった。良かった」とコメントしました。

2019年4月から三重県津市に本店を置く百五銀行の所属となり、3年間の嘱託契約で、練習拠点は日本大学となります。

  • 選抜体重別優勝(3年ぶり2度目)、グランプリ・モントリオール2位、グランプリ・ザグレブ2位、世界選手権2位、ワールドマスターズ優勝

2020年2月には東京オリンピック代表が内定しました。代表内定となった原沢久喜選手は「自国開催の五輪で戦えることを誇り、喜びに感じ、力に変えたい」と決意を述べました。

原沢久喜(柔道)結婚してるの?彼女現在いるか調査まとめ

現在、原沢久喜選手の彼女や結婚についての情報はありません。原沢久喜選手も東京五輪に目標を掲げ、柔道一本で進んでいるようです。原沢久喜選手が全てを賭けて地道に積み上げてきた努力が2020年の東京オリンピックで開花するのか、日本中が注目しています。

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