東京ヤクルトスワローズで活躍されている山田哲人選手。実は高校時代は無名選手でした。それが、ある時から頭角を表して最終的にドラフト指名されるほど有名な選手になりました。
今回は、山田哲人選手の高校時代と家族や兄弟についてもまとめました。
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山田哲人(ヤクルト)高校時代は無名選手だった?
2019年も35本塁打、33盗塁となかなかの好成績を残した東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手。高校時代の彼がどんな選手でどのような活躍をしたのか非常に気になりませんか。
山田哲人選手の通っていた高校は大阪の私立履正社高校。設立は1922年と歴史ある学校ですが、野球部が甲子園大会に初出場したのは1997年の夏とお世辞にも強豪校といえる学校ではありませんでした。
しかし2度目の出場の2006年春からは出場回数を増やし、そして2019年には夏の大会での初優勝を果たしています。
そんな履正社高校野球部に入った山田哲人選手は入部すぐ大活躍!…とそこまで都合のいいわけでもなく、1年ではベンチ入りまで、レギュラーになったのは2年の夏からでした。
3年生の春からはチームの主力選手として大阪大会優勝・近畿大会準優勝を果たし、念願の甲子園大会にも出場、履正社高校の夏の全国大会初勝利に貢献します。
1・2年生までは地方の大会のみでの活躍に止まっていたため確かに無名といえば無名でしたが、3年生での甲子園での活躍がきっかけとなりヤクルトスワローズからドラフト指名されるまでに至ります。
山田哲人(ヤクルト)の家族構成と実家は?
山田哲人選手は兵庫県豊岡市で生まれその後宝塚へと引っ越しますが、高校進学をきっかけに大阪府豊中市へと一家で移り住むこととなります。
山田哲人選手を家族でサポートするためということですが、子供のためとはいえなかなか真似できることではないですよね。
父親について
山田哲人選手の父親・山田知規さんは現役の警察官で兵庫県警の生活経済課にお勤めです。
山田知規さんは野球の経験はないようですが武術での全国制覇の経験があり、山田哲人選手は見事に父親の運動神経を受け継いでいますね。息子の運動神経を見抜いていた山田知規さんは山田哲人選手の幼いころから水泳や空手、サッカーなどいろいろなスポーツを経験させます。
山田哲人選手が野球を始めることになると山田知規さんは野球の経験はなくても武術の経験を生かしバドミントンのシャトルを使ったトレーニング方法を生み出します。そして、履正社高校への進学が決まると家族で大阪へ移り住むことを選ぶのでした。
母親について
山田哲人選手のお母さんの山田則子さんはテニス経験者で球技の才能はお母さんから受け継いだのかもしれません。
山田則子さんによると山田哲人選手は赤ん坊のころから運動神経がよく「ハイハイ」がほかのどの赤ん坊よりも速かったらしいのです。「ハイハイ」がとても速いとは、生まれつき腕と脚と腰の筋力が優れていたということなんでしょうか?天性のものを持って生まれてきたということなんですね。
ハイハイがとても速く運動神経の良さを期待された山田哲人選手は、ご両親の思い通りいろいろなスポーツに挑戦することになりますが、その際に山田則子さんは一貫して「褒めて伸ばす」という教育方針で接していました。
最高の環境を提供したご両親の愛情もあり、野球の才能を伸ばすことが出来た山田哲人選手は見事にプロ野球入りを果たすのでした。
兄弟について
山田哲人選手は3人きょうだいの真ん中で、お姉さんと妹さんがいらっしゃいます。ご姉妹のお名前や現在の職業などは明らかになっておらず調べてもわかりませんでした。
ネットで探せば画像もあるのですが、おそらく一般の方なのでここに画像を載せるのは控えさせていただきますね。
山田哲人(ヤクルト)ってどんな選手?
東京ヤクルトスワローズ山田哲人とはどんな選手なのか、ここで改めて書いていきたいと思います。
兵庫県豊岡市で生まれた山田哲人選手は幼いころから水泳や空手、サッカーなど数々のスポーツを習い始めます。野球を始めたのは小学2年生からで宝塚市のリトルリーグに外野手として所属しました。
私立履正社高校への進学と同時に大阪府豊中市に引越し、家族からのサポートを受けながら野球を続けます。3年生の夏に甲子園大会に出場しチームは2回戦で敗退しながらも、本塁打やホームスチールなどの注目を集めるプレイを放ちその年のドラフト指名を受けヤクルトへと入団します。
入団一年目にはレギュラーシーズンでの出場は果たせなかったものの、クライマックスステージ(CS)に遊撃手として出場。第3戦第4戦では得点・打点を記録します。二年目の2012年4月にはシーズン公式戦に初出場、見事に初安打を放ちました。
四年目にはコーチから受けた新しい指導法によって打撃が大爆発し、オールスターゲームにも初出場、第2戦で本塁打を含を放ち敢闘選手賞を獲得しました。最終的にこの年2014年は193安打を放ち最多安打賞を獲得します。
続く2015年にはトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を達成し年棒がそれまでの8000万から一気に2億円台となりました。2016年、2018年にもトリプルスリーを達成しています。
山田哲人選手のプライベートはどうなっているのでしょうか。彼女や仲のいい女友達などいるのか気になりますね。
トリプルスリーを達成した2015年以降はたくさんの話題やウワサ話が出てきていますが、それはここではなく別の記事で話すことにします(しました)。
山田哲人(ヤクルト)の年棒推移は?
2011年 19歳 720万円
2012年 20歳 800万円
2013年 21歳 1000万円
2014年 22歳 2200万円
2015年 23歳 8000万円
2016年 24歳 2.2億円
2017年 25歳 3.5億円
2018年 26歳 2.8億円
2019年 27歳 4.3億円
山田哲人(ヤクルト)のプロフィール
名 前 | 山田哲人(やまだ てつと) |
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生年月日 | 1992年7月16日 |
出身地 | 兵庫県豊岡市 |
学 歴 | 履正社高等学校 |
身 長 | 180cm |
体 重 | 70kg |
趣 味 | 映画観賞 買い物 ボウリング |
所 属 | 東京ヤクルトスワローズ |
スポンサー | マニフレックス、アディダス |
2014年 最多安打 ベストナイン
2015年 本塁打王 盗塁王 最高出塁率 最優秀選手 ベストナイン
2016年 盗塁王 ベストナイン
2018年 盗塁王 ベストナイン
2019年 ベストナイン
まとめ
東京ヤクルトスワローズ所属の山田哲人選手は1992年に兵庫県豊岡市に生まれ、小学2年生より野球を始めます。
ご家族は山田哲人選手が大阪府内の高校へ進学を決めると大阪へ引っ越し、家族で彼をサポートすることになりました。家族のサポートを受けたこともあり甲子園出場、ドラフト指名されるなどまさに理想どおりの道を進むことになります。
ヤクルト入団後も3回のトリプルスリー達成など記録を残し続けている山田哲人選手がこの先どんなすごいプレイを見せてくれるのか非常に注目ですね。